べったらの大根生産者を取材しました。
埼玉県深谷市にある大根の畑
べったら漬の大根の産地へ
神川町から車で50分程の深谷市岡部にある黒沢グループの大根畑を訪問しました。
岡部はネギやブロッコリー畑に囲まれて農家や住宅が点在している農業が盛んな地域です。
その日の気温は26度。
「暑いですね〜」「いや、ほんと11月とは思えない暑さですね」と、はじめに交わした挨拶からも温暖化の影響を大きく受けている農業の大変さが伝わってきました。
出迎えてくれたのは黒沢グループの黒沢実郎さんと雅樹さん。黒沢グループで運営する大根畑4箇所を案内してもらいました。
左から大根生産者の黒沢実郎さんと雅樹さん
長年、農薬や化学肥料、除草剤を使用せずに大根栽培をしている黒沢さん。
今年は虫の被害が特に多いと聞いていたのですが、実際にその大根畑を見せていただきました。案内された先には緑の葉が元気に茂った大根畑が見えてきました。
一見すると大根の葉が元気に生えているように見えていたのですが、黒澤さんによると同じ葉でもよく見ると違いがあるとのこと。
通常は葉が上に上に伸びていくのですが、芽の中心に虫が付き、芯を食べられてしまうとそれ以上は成長しなくなってしまうそうです。
今年はその被害が多く、大きくならない大根を抜いたり、予め間引いた所もあり畑の中にぽつぽつと開いた空間がありました。
農薬を使用すればこういった虫被害も最小限にできて収穫量が安定するのですが、食の安全と環境に配慮した栽培法を実践する生産者には収穫量が見込めず悩ましい問題です。
葉についたアブラムシや蝶類の幼虫を手で取りながら一つ一つ大根の状態を確認する黒沢さんたち。
特にアブラムシが付いてしまうと養分を取られてしまい大きくならないそうで、気温の高さも要因になっているようです。
べったら漬の大根はこの畑で取れる大根で作っていますので、今年の生産量は限られそうです。
大根の収穫は1本づつ手で抜いていく
畑に育った大根は一気に抜くのではなく、ちょうどよく成長しているものを選んで抜いていきます。べったら漬けに適した大根は大きすぎても細すぎてもダメでちょうど良い太さで収穫することが求められます。成長具合は葉を寄り分けて根を見ないとわからないのですが、慣れてくると葉を掴んだ時にだいたい状態がわかるそうです。一面緑に茂った大根畑に立ち、黒沢さんたちが1本1本かがんで引き抜いていく姿を思うと、大切に育てた大根を無駄なく美味しく加工しなければと、製造者としての責任を改めて感じました。
今年は11月上旬に収穫できそうです。
大根の風味を残したべったら漬へ
さて、収穫後の大根はどうなるかというと、まずは洗浄し1本ずつ皮剥きをしていきます。収穫したそのままの大根は形状が様々ですので、皮剥きで形をある程度整える必要があります。簡単なようで熟練の技を要する作業です。
その後、塩に下漬けします。水分を程よく抜いて大根の風味と旨味凝縮させます。
最後に有機糀あま酒で作った漬液に本漬けして味を熟成させたら完成です。
糀あま酒の糀の元となる有機米は、以前取材した埼玉県児玉町の生産者清水さんが有機栽培した「彩のきずな」を使用してヤマキ醸造で製麹しています。
清水さんの取材記事はこちら≫
べったら漬は生大根の瑞々しい食感と風味が糀と一つになった優しい味わいの冬のお漬物です。
当社との取り組みは40年
黒沢グループとヤマキ醸造の取り組みは40年程になるそうです。黒沢グループは以前は6人ほど生産者仲間がいたそうですが、この10年は黒沢実郎さんと雅樹さんの2人で生産しているそうです。
実郎さんは18歳の頃から農業を手伝い50年程たった今でも現役で活躍しています。取引が始まった当初は1本漬けが主流であり、袋に入りきらず切り落とした端切を有効活用するため、福神漬けの製造もやっていたそうです。大切に栽培した原料を無駄にしない姿勢は今も変わりません。
美味しい漬物は無くならない
私たちは漬物を昔ほど食べなくなってしまいました。漬物の大根生産者からしてみると寂しいくらい生産量も出荷量も減っています。「漬物はおいしいんだけどね」と、雅樹さんがつぶやくように仰っていました。時代の変化で暮らしや働き方が大きく変わり、料理にかけられる時間が減り、ミールキットなど時短調理が喜ばれる時代になりました。漬物を切ることすら省かれてカット品など時代にあった漬物に変化してきています。それでも時代に逆行するように、大根栽培を続け効率化することのできない加工の仕方で昔ながらの漬物を作ってくださる生産者が存在します。それは唯一無二の美味しさと、その漬物を待っていてくれる人たちがいるからだと感じています。本物の美味しさは無くならない、そう信じて販売を続けていきたいと思います。
取材裏話
今では、埼玉県の岡部と言えば、隣接する深谷市と同様にねぎとブロッコリーの一大産地ですが、かつては大根が主流の産地でした。高度成長期には今よりもはるかに多い量の大根が消費されており、収穫や加工も忙しかったそうです。漬物屋も多くあり、収穫してすぐ加工する仕組みが昔からこの地域にはできていました。大根やその漬物の消費が減っていく中、生産者も減っていき、今では大根畑は数えるほどになっています。今はその漬物屋も大根漬消費の減少に伴い減ってしまいました。
収穫の最盛期には一日3回収穫と漬け加工をしたそうで、雅樹さんも子供の頃手伝った重い作業を思い出し語ってくれました。